社会福祉法人 慈愛園

慈愛園について

慈愛園の歴史

慈愛園創設者 モード・パウラス宣教師
創立者 モード・パウラス宣教師
モード・パウラス宣教師により慈愛園創立

第一次世界大戦後の日本は、 貧困・病気・人身売買が後を絶たず、米騒動は全国規模で暴動ともなりました。
大正8年(1919年)3月、日本福音ルーテル教会宣教師会は日本の事情に心を痛め、社会事業を開始することを教会総会に提案し承認されました。
初代園長モード・パウラス宣教師は、北米一致ルーテル教会婦人会の寄付により、土地23100㎡を購入し、子供ホーム・婦人ホーム・老人ホームを新築しました。


暖かい家庭の雰囲気を

施設は「ホーム」と名付け、暖かい家庭の雰囲気を体験させるため職員に父親、母親の役を果すことを求めました。今日、老人施設をホームと呼ぶようになったのもこの慈愛園のホームシステムからです。 さらに、「入所している人々に愛情を受ける立場から、自ら他の人々の愛を分け与える人々になる」ことを求めました。これらは慈愛園社会福祉事業の根底となっています。

慈愛園の歴史
慈愛園の歴史
慈愛園の歴史

モード・パウラス宣教師は社会事業を行う上で、勤労による自給自足を推奨し、子どもも老人も畑を耕し、動物を飼ってそれらの恵みに感謝することを体験させることを目的としていました。



国指定・登録有形文化財 慈愛園モード・パウラス記念資料館

慈愛園モード・パウラス記念資料館

大正12(1923)年にアメリカの宣教師モード・パウラスによって創設された熊本の社会福祉法人の礎となる施設で、本建物は、昭和2(1927)に宣教師の住宅兼事務所として建てられました。 国指定 登録有形文化財登録済です。

 

文化遺産オンライン


モード・パウラスのプロフィール
1889 (明治22)
アメリカ・ノースカロライナ州の農家に9人姉妹の5女として2月15日に生まれる
1899 (明治32)
父を失う。母を先頭に子どもたち全体で農業を分担する。
1900 (明治33)
11歳の時、日本伝道を決心する
1914 (大正3)
レイノアライン大学を卒業する
1918 (大正7)
9月来日
1919 (大正8)
慈愛園創立委員長となる
1926 (大正15)
妹エーネ・パウラス宣教師も姉を助ける
1959 (昭和34)
退職、帰国。勲四等瑞宝章授与
1969 (昭和44)
慈愛園創立50周年に来日
1978 (昭和53)
Gathering Up the Fragments 日本語版「愛と福祉のはざま」を著し、レイノアライン大学より博士号を授与される
1979 (昭和54)
慈愛園創立60周年に来日
1980 (昭和55)
6月16日召天(91歳)
1985 (昭和60)
熊本県近代文化功労賞授与